カーターセンター設立への想い

ほとんどの大統領にとって、ホワイトハウスを去ることは引退を意味する。しかしジミー・カーター氏にとって、ホワイトハウスを去ることは、公の職務から一市民として、世界にこれまでにはなかった新しいサービスを提供する、新たな時代への移り変わりの時であると結びつけられる。フランクリン・ルーズベルト氏以降、歴代の合衆国大統領は、大統領時代の貢献を保存するための図書館のような常時施設を立てることが慣例となっている。ジミー・カーター氏は、単なる「生命の通り道」記念碑、あるいは、世界や世界の問題から孤立した政府研究所など作りたくはなかった。大きな展望を持ち、「もっと世界のために役に立つ仕事ができる場所」を夢見ていたのである。ロザリン夫人は、カーターセンターの発想が形づくられたときのことをこう振り返る。

「ある夜、目が覚めるとジミーがベッドの上に座っていたの。彼は、いつもぐっすり眠るから、きっと病気なんだと思ったわ。『いったいどうしたの?』と尋ねると、『研究機関でできることは分かってる。でも、紛争を解決したい人々を助ける場所を作ろうと思う。そんな場所は今どこにもない、紛争解決のセンターを』プレインズに帰って以来初めて、ジミーが将来の計画に胸を踊らせているのを見たわ。」
彼の考えは、1982年、近接するエモリー大学の協力により、非営利機関としてカーターセンターが創設されたときに現実のものとなった。カーターセンターは、140人程度の常時スタッフで運営されている。1986年10月1日にオープンしたジョージア州アトランタの常時施設設立後、個人からの寄付により、幾つかは日本から来ている。

この建物全体は、カーター・プレジデンシャル・センターと呼ばれ、ジミー・カーター図書博物館も併設されており、それは連邦政府に寄贈され政府の手で運営されている。1993年10月21日、アイバン・アレン世博リオンがカーターセンターの4番目の建物としてオープンした。この施設には425席の会議スペースとオフィススペースがあり、これによりセンターの活動や能力をさらに拡張させている。

カーターセンターライブラリー庭園
Jimmy Carter Library

カーターセンターライブラリー庭園

カーターセンター落成式の始まりのときのカーター氏
Emory University

カーターセンター落成式の始まりのときのカーター氏

カーター氏がカーターセンターに描くビジョンは志気にあふれている。彼はカーターセンターを、地球の誰もが平和に暮らせるという理念を現実化する活動機関としてとらえている。カーター氏にとって平和の建設ということは、農業生産の改善、人類を滅ぼす疫病との闘い、人権擁護、紛争解決、自由で公平な民主的選挙を育むという幅広いものだ。